五月人形に秘められた戦国武将のデザイン

「端午の節句(たんごのせっく)」に飾り立てる「五月人形」に描かれた戦国武将たちの姿。

中世日本の歴史の中で、誰もが羨み、憧れるような武功と立身出世を遂げた戦国武将達は、端午の節句に飾る鎧兜「五月人形(ごがつにんぎょう)」として描かれ、武家や庶民たちは、彼らを象徴する生き様と、勇ましい鎧兜のデザインに憧憬を重ねました。ここでは「五月人形」に描かれる戦国武将たちの姿と鎧兜のデザインについて解説していきます。

 

目次

  

新しく生まれた男子が初めて迎える初節句「端午の節句(たんごのせっく)」。

  

女の子の初節句である「雛祭り(ひなまつり)」と並んで、わが子の健康と成長を願う、日本家庭の一大イベントです。とりわけ、末は家中の大黒柱ともなる男子のお祝いでは、古くから「成長」「出世」「躍進」「飛躍」といった願いを込めて、戦場の華である「鎧兜(よろいかぶと)」を飾り奉ってきました。

  

古来より、「五月人形」として描かれる個性豊かな戦国武将たちや、彼らが身に纏った鎧兜のデザインには、様々なストーリーと、そこに重ねる「子どもへの願い」が秘められていました。

  

ここでは、五月人形の歴史と、そこに描かれた戦国武将たちの生き様と美意識を解説していきます。

     

「五月人形」の起源と形式

 
端午の節句に奉られる鎧武者の姿
  

一般に、「五月人形」と言うと、いわゆる「鎧兜(よろいかぶと)」の一式を指してそう呼称します。

  

五月「人形」と名がつくことで、「鎧武者のお人形さん」をイメージしがちですが、人形タイプのものは数も少なく、「鎧」「兜」のセット、または、武将の個性が色濃く表現された「兜」を飾ることが多いそうです。

  

端午の節句(たんごのせっく)」そのものは、奈良時代に成立したとの説がありますが、この「鎧兜(よろいかぶと)」を飾る風習については、江戸時代以降、太平の世の中で広まっていったと考えられています。

  

徳川家康が「関ヶ原の戦い」から征夷大将軍となり江戸幕府を開いて以降、それまで権威を保っていた「朝廷勢力」から、戦国の世を制した「武家勢力」へと世界が移り変わって行きました。世の中が武家社会としての安定を見せる中で、端午の節句に用いる「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじることを指す「尚武(しょうぶ)」と重なり、「尚武(しょうぶ)の節句」として厚く祝われる年中行事となっていきます。

  

こうした時代の移り変わりのなかで、武家の棟梁たる長男子の成長と立身出世を願い、自然と「武士の道具」である「鎧兜」が奉られるようになっていったのです。

    

「五月人形」に描かれた戦国武将と、子に願う気持ち

 
古代中国から伝来した故事と戦国武将
  

古来日本では、中国の古代王朝の人物や故事になぞらえた表現や慣用句が多く存在します。

  

三国志の時代に現れた天才軍師・諸葛亮孔明のような聡明な人物を指した表現「今孔明(いまこうめい)」。古代中国の大英雄・項羽(こうう)が、四方八方を敵に取り囲まれた際のエピソードを表す四字熟語「四面楚歌(しめんそか)」などがそうです。

  

江戸時代の平和な世に生まれた武士や庶民達も、これらの例に漏れず、激動の戦国時代を生き抜いた有名武将達になぞらえて、五月人形の鎧兜に「子に願う生き様やストーリー」を思い描きました。

  

人気の戦国武将から、兜や鎧に込められた意味、そして、彼らの激動のストーリーに重ねる「わが子・孫への想い」を、一覧で見てみましょう。

  
日本史上でも他に類を見ない出世男「豊臣秀吉」

日本史上でも他に類を見ない出世男「豊臣秀吉」

豊臣秀吉の鎧兜は、兜後頭部の「後立(うしろだて)」に、秀吉好みの「黄金の後光」が高く伸びたタイプ

出自の定かではない土農の出身と言われており、しがない針売りから始まって、日本全国を統べる天下人にまでのし上がりました。日本史上で他に類を見ない「出世男」であることから、会社経営者からの人気が高いとも言われ、「立身出世」「名声」といった願いが込められます。

鳴くまで待った、忍耐の天下人「徳川家康」

鳴くまで待った、忍耐の天下人「徳川家康」

徳川家康の鎧兜は、枯れることのない繁栄と長寿のシンボルである「歯朶(シダ)の葉」をモチーフとしています。

この「歯朶具足」は、徳川家康のお気に入りの鎧兜とされ、戦国の世に終止符を打った「関ケ原の戦い」で、この鎧兜を身に着けて勝利したことから、非常に縁起の良い「吉祥(きっしょう)の象徴」として扱われました。

五月人形に描かれる徳川家康の鎧兜には、戦国の世を最後まで耐え抜いたからこそ掴むことの出来た、「繁栄」と「栄光」が描かれています。

新しい時代を切り開く革新の麒麟児「織田信長」

新しい時代を切り開く革新の麒麟児「織田信長」

信長の鎧兜には、ヨーロッパ甲冑を取り入れた「当世具足(とうせいぐそく)」や「南蛮胴(なんばんどう)」の形式が色濃く見られます。

現在の愛知県西部・尾張国の小勢力であった織田家は、信長の代で織田本家への下剋上を果たして独立。戦国屈指の逆転劇「桶狭間の戦い」を経て天下に名乗りを上げました。

鉄砲と南蛮貿易、旧勢力や商業形式を刷新する革新的なアイデアで、天下統一の目前にまで迫った天才の鎧兜には、「最先端」の技術をいち早く自身の身に取り込むような「革命児」の生き様が見事に表れています。

真紅に染まる大河の騎馬武者「真田幸村」

真紅に染まる大河の騎馬武者「真田幸村」

真田幸村(信繁)の鎧兜は、武田家伝来の精鋭部隊「赤備え(あかぞなえ)」が身に纏う真っ赤な鎧兜です。

堺雅人さんが演じる2016年・NHK大河ドラマ「真田丸」でも描かれるその雄姿は、江戸の時代より根強い人気があります。精強で恐れられた九州・鹿児島の島津家をもってして、「真田日ノ本一ノ兵(ひのもといちのつわもの)なり」と称賛するなど、あの徳川家康が死を覚悟する程に追い詰められた、という伝説的な武勇が有名です。

真田幸村の鎧兜は、「風林火山」で知られる真田家の元主君・武田信玄が率いた精鋭「赤備え(あかぞなえ)」がモチーフです。兜は亡き父・昌幸から譲られたものとも伝わり、「逆境にも立ち向かう強さ」や「類稀な勇気」が描かれます。

軍神に喩えられた義理堅い毘沙門天の化身「上杉謙信」

軍神に喩えられた義理堅い毘沙門天の化身「上杉謙信」

豪族で溢れ返る越後国(現在の新潟県)を若き日にまとめ上げた上杉謙信は、その姿を、戦の神である毘沙門天に喩えられました。日輪に弧月が描かれた兜は、月と太陽の光や陽炎を象徴する神「摩利支天(まりしてん)」がモチーフです。独立志向の強い豪傑があまねく越後を統べる謙信にとって、「神にも等しい熱狂的なカリスマ」と、「強烈な指導力」を発揮することには、非常に大きな意味がありました。

半面、山間部で塩の流通がストップしてしまった武田信玄に対する「敵に塩を送る」エピソードからは、「誰もが憧れるリーダーシップ」と「義理に厚い人柄」を伺うことができます。

ハリウッドにも渡った伊達男の美学「伊達政宗」

ハリウッドにも渡った伊達男の美学「伊達政宗」

伊達政宗の鎧兜は、漆黒のシルエットに、大きな弧月が浮かぶ先進的なデザインが印象的です。この「黒漆塗五枚胴具足(くろうるしぬりごまいどうぐそく)」は、後世、歴代の千代藩主である伊達家当主と、その家臣たちがこぞってこの形式を踏襲したことから別名「仙台胴(せんだいどう)」とも呼ばれています。

映画「スターウォーズ」で知られる映画監督、スティーブン・スピルバーグは、若き日にこの鎧兜を目にして、稀代の名悪役「ダースベイダー」のデザインを考案したと言われています。

伊達政宗は、幕府の鎖国令下のなかでオランダやローマ教皇との交流を試みたりと、その「斬新さ」「洒落て洗練されたさま」「大胆不敵な振る舞い」から「伊達男(だておとこ)」の語源にもなっています。

    

日本人が最も好む戦国武将とは?

 

日本で最も人気の高い戦国武将は誰でしょうか?

 

どの戦国武将も、それぞれの生い立ちやストーリーがありますが、日本人の55%・約半数が好むと言われる戦国武将がいます。

 

それが、織田信長です。

 

豪雨に紛れ今川本隊への奇襲を成功させた大逆転劇「桶狭間の戦い」
 

日本のちょうど中央、尾張の国(現在の愛知県西部)に生まれ、元服(成人の儀式)からわずかの間に、尾張を統一。「東海道一の弓取り(戦名人)」とも言われ、当時、天下に最も近いと目されていた今川義元を大逆転劇で打ち破って以来、商業流通と南蛮貿易を背景にして、後の天下統一の礎を築きあげました。「時代の革新者」「劇的な勝利で天下に名乗りを上げた麒麟児」「新しい世の中をつくった戦国武将」「既成概念にとらわれない天才」といったイメージが高く評価され、日本人が最も好み、憧れる戦国武将と言われています。

 

織田家家紋「木瓜紋」と「当世風(とうぜいふう)のフォルム」
 

五月人形にも、"戦国時代の革命児"「織田信長」の鎧兜が存在します。

 

織田信長のものと伝わる鎧兜は多くありますが、五月人形の姿となるのは「織田家」に伝わる家紋「織田木瓜紋(おだもっこうもん)」を前立てにあしらい、木瓜紋にきらびやかな後光が射した兜が有名です。

 

兜全体が美しい三角形を描き、頂点に向かって伸びるその意匠は、当時、南蛮貿易を通じて流行した「当世風(とうぜいふう)」「南蛮胴(なんばんどう)」と呼ばれ、中世ヨーロッパの甲冑と、日本古来の鎧兜が融合したデザインでもあります。織田信長の「時代の革命児」という一面が見事に表れた鎧兜です。

 

まとめ

 

今回は、五月人形として「鎧兜」が飾られるようになった起源と由来、そして、五月人形として描かれる有名武将についてまとめました。次回は、戦国時代を生き抜いた各武将達の生き様とストーリー、そして、鎧兜のデザインに秘められた意味を紐解いていきましょう。

 

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参考

 

下記の資料およびサイト様を参考にさせて頂きました。

 

Webサイト

 

資料

    

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